煙滅 La disparition
ジョルジュ・ペレック Georges Perec フランス
塩塚秀一郎:訳
水声社(フィクションの楽しみ)
以前からこの本の原作については耳にしており、そのたびに「これの翻訳は無理だろう」ということだった。
いま、こうして日本語に翻訳された『煙滅』を読み終え、まず言いたいのは「翻訳者塩塚氏ブラボー!」だ。
これだけの難業を、この完成度の高さで仕上げるとは驚かされた。
レーモン・クノー『文体練習』の翻訳者朝比奈氏といい、日本でのウリポ作家は良い境遇にあると思う。
さて、この『煙滅』だが、原書では「e」の文字が一箇所も使われていない。
フランス語で使用頻度の最も高い文字「e」が使用されないことによる不都合さ、不安、モヤモヤとしたものが作品の中の世界にも反映されておりメタフィクションとして一級の出来だ。
これを日本語に翻訳するために、訳者は日本語で最も使用頻度の高い「イ」を、そしてイ段である「キ、シ、チ、ニ、ヒ、ミ、リ」をすべて使わないということをする。
しかしここで問題が生じる。
原著では「エ」音はNGだが「イ」音はOK、翻訳では「イ」音はNGだが「エ」音はOK。
そこで、原著の登場人物の名前を、そこに込められた意図を解釈して、日本語用に変更する。
アッパー・ボン は Anton Voyl
ラックス・フォン は Amaury Conson
さらに日本語と異なり、フランス語には母音がア、イ、ウ、エ、オ、ユの6つある。
その6つから「エ=e」の抜けた、5という数字が作品中何度も登場し、ストーリー上も意味を持ってくる。
しかし日本語には母音が5つしか無い。
そこで塩塚氏は、原著の内容を修正し、日本語の母音数に合わせるということまでやってのける。
こんな形で原著に翻訳者が手を入れるなんてことを初めて目にした。
さて内容だが、アッパー・ボンという男は眠ることが出来ない。
何らかの不安が身中に根をはやし、それが消えない。
ある時彼はメモを残し、失踪する。
彼の友人であったラックス・フォンは、ボンを見つけ出そうと手を尽くす。
内容はミステリ仕立てになっており、ボンが残したテキスト類を頼りに彼を捜索する。
そして、なにか恐るべきことが起きていることが明らかになる。
と言いつつも、ペレック流のユーモアがそこかしかから匂い立つ。
『モビー・ディック』(作中では『モベー・デック』)、『モレルの発明』など文学作品のパロディあり、レーモン・クノーがちょこっと登場したりと、言語遊戯として楽しみながら書いている様子が伺われる。
『人生使用法』はあまりに複雑で、自己言及的なテクストだったが、『煙滅』はシステムさえ理解すれば、苦もなく読み進められる。
ペレックは次のように言う。
言語が宿す複雑さを和らげようと思ったわけではなく、そのような複雑さへ背を向けたわけでもなかった。誰でも分かるような約束ごとを課されても、望むことを思う存分書けると思ったからなのだ
その制約のなかで言葉の持つ豊穣さを彼は読者に見せてくれた。
そして「白々(はくはく)たるものが現れるか、省かれ」ているこの小説において、言葉の不在が人間の人生を、その日々の生活に対する焦燥を象徴する。
これはたしかにとんでもなく技巧的な小説だが、その根底として物語としてのとてつもない魅力を秘めた小説だった。
<作家>が望んだこと、狙ったこと、たえず心掛けたことは、これまで書かれたことがなく、なおかつ今後の文学の発展へ役立つようなものを創ることだった。当節のノベルの構造、語る術(すべ)、プロットの発想と並べ方、つまるところ文学作法だが、その変革をもたらすような創作をすることだった。